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名古屋高等裁判所 昭和52年(ネ)284号 判決

控訴人

株式会社協和銀行

右代表者

色部義明

右訴訟代理人

島谷六郎

外四名

被控訴人

後藤劼

右訴訟代理人

伊藤和尚

被控訴人補助参加人

後藤行雄

右訴訟代理人

山路正雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用、認否は、次のとおり補足するほか、原判決事実摘示と同じであるから、ここにこれを引用する。

(控訴人の主張)

被相続人の預け入れた普通預金ないし定期預金について、その相続人から払戻請求がなされたとき、金融機関としては、被相続人名義の預金通帳、証書および届出印章の提出を求めて実情を調査し、かつ、被相続人の戸籍謄本または除籍謄本、相続人の印鑑証明書等を徴求して死亡の事実、相続人の範囲ならびに払戻請求者の同一性を確認するとともに、預金証書の裏面に相続人の記名押印を徴して、相続人全員に預金金額を一時に払戻す取扱いをしており、かかる取扱いは、金融機関と預金者の相続人との間で長年に亘り実施されてきたものであつて、単に金融機関の内部的事務処理手続にとどまるものでなく、預金者の共同相続人をも拘束する事実たる慣習として確立されたものである。したがつて、被控訴人が後藤シト子の相続人として、同人が控訴人に対し有する預金債権の払戻請求をするためには前記手続によるべく、これを履践していない被控訴人の本訴請求は失当たるを免れない。

そもそも一口の定期預金は、それ自体一体をなすものであつて、一部払戻の観念を入れる余地はない、定期預金の一部払戻を容認すると、日常大量の預金取引を迅速、かつ、正確に処理しなければならない銀行実務において、いたずらに事務の煩雑を招き手続上のトラブルをきたすおそれがある。また、定期預金の払戻しをした場合、預金証書を回収しないまま放置しておくと、預金証書を再度使用されるおそれがあるので、これを回収する必要があるが、もし定期預金の一部払戻を容認すると、預金証書にその旨を記載し、預金者に再度右証書を交付しなければならず、預金証書の回収が極めて困難になる。そこで、かかるトラブルを回避するため、金融機関としては、相続預金の払戻請求は共同相続人全員でなすことを要し、一部の相続人からの払戻請求には応じない旨の取扱いをしており、これはわが国金融機関の一致した取扱いであつて、もはや事実たる慣習として確立されたものである。

そして、民法九二条の事実たる慣習に関する規定の適用を受けるためには、当事者が慣習による意思を有するものと認められるときでなければならないが、しかし、右意思を積極的に表示することを要せず、当事者の意思表示からとくに慣習に従わないという趣旨が認められるか、その慣習が両当事者の職業、階級などに普遍的なものでないという特殊事情がない限り、慣習による意思を有するものと認めるべきであり、また、慣習による意思を有するというためには、当事者が慣習の存在を知つていることも不要と解すべきである。よつて、本件の場合、相続預金をした後藤シト子は勿論、その相続人である被控訴人も慣習による意思を有していたものというべきである、

(被控訴人の反論)

控訴人の主張を争う。相続預金の払戻請求をするには共同相続人全員でしなければならない旨の取扱いは、単に金融機関と私法上対等の立場にある一般人たる預金者を拘束するものでない。しかも、右のような手続を要求している趣旨は、相続人の範囲を確認し、ひいては何人か真の権利者であるかを確認する手段にすぎないのであるから、当事者間において相続人の範囲につき争いがないときなどを考えあわせると、共同相続人全員の請求でないことを理由に相続預金の払戻請求を拒絶し得ないとすることの当らないことは論を俟たないところである。

また、民法九二条の事実たる慣習は、任意法規にこそ優先すれ、強行法規に優先して適用されるものではない。本件の場合、被控訴人が後藤シト子の相続人として控訴人に対し預金債権を有するか否か、有するとすればその金額はいかほどであるかを決するのは強行法規たる相続法であるから、民法九二条を適用すべき余地はない。

のみならず、民法九二条は、当事者が事実たる慣習による意思を有するものと認められるときに限つて適用されるものであるところ、控訴人の主張する事実たる慣習は金融機関の内部的事務処理手続にすぎず、公示もなされていないので、預金を預け入れた当事者としては右手続を知る由もないのである。したがつて、後藤シト子あるいはその相続人である被控訴人と控訴人との間で本件預金契約を締結するに当り、預金者が死亡したときは、その相続預金の払戻につき共同相続人全員で請求しなければならない旨の慣習に従う意思を有していたとは考えられない。

(証拠関係)〈省略〉

理由

当裁判所もまた原審と同じく、被控訴人の本訴請求は原審の認容した限度で正当であるからこれを認容し、その余は正当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり補足するほか、原判決理由説示と同じであるから、ここに右記載を引用する。

一控訴人は、相続人が被控訴人のなした相続預金の払戻請求をするには、共同相続人全員でしなければならない旨の事実たる慣習が存すると主張する。

〈証拠〉によると、控訴人は、相続預金の支払いにつき、とかく紛議の生ずることがあるので、相続人に対する支払いや名義変更を行なう場合、とくに慎重に処理するため、かねて、その手続を規定した事務処理規程を制定するとともに、その徹底を期すべく、各営業店に同旨の通達を発していること、それによると、相続人から相続預金(普通、定期その他を問わない。)の払戻請求がなされたときは、被相続人(預金者)名義の預金通帳・証書および届出印章を提出させて実情を調査したうえ、相続による支払請求書、被相続人の戸籍謄本または除籍謄本、相続人全員の印鑑証明書、各預金の通帳・証書および払戻請求書を徴して預金者死亡の事実および相続人を確認し、さらに営業店長の承認を得て支払う旨定められており、しかも右相続による支払請求書および払戻請求書には相続人全員の署名押印を要すること、右手続に従わない払戻請求には応じないこととし、右のような取扱いは、控訴人銀行のみならずほとんどの金融機関がこれを実施し、これにより通常別段の支障もなく預金払戻事務が取り扱われていることが認められ、これに反する証拠はない。右認定事実によれば、現在の銀行実務上、相続預金の払戻請求は共同相続人全員でしなければならないとする旨の取扱いが事実たる慣習として行われているものと見て妨げない。

二しかしながら、それが民法九二条の適用を受けるためには、単に同条にいう慣習が存するというだけでは足りず、さらに当事者がその慣習による意思を有するものと認められなければならない。そこで、この点について検討してみるに預金債権は、指名債権であるから預金証書や通帳(これらは単なる証拠証券にすぎない。)の所持とは関係なく預金債権者が特定されており、しかも可分の金融債権であるから、預金債権者が死亡し相続が開始されると同時に法律上当然に共同相続人に分割承継されるものであることは明らかである。一方、遺産の相続につき相続人間で紛争の生ずることもよくあることである。そして、このような場合、本件で見るような相続預金の払戻請求を共同相続人全員ですることは事実上困難な場合もあり、あくまでも共同相続人全員の署名押印のある支払請求書ないしは払戻請求書を要するとすれば、相続により取得した債権の行使が不当に妨げられることともなることは自明である。もとよりその取扱いの意図実益はともかく、およそ法律上の紛争の窮極的解決は公の機関である裁判所の裁判に委ねらるべきはいうをまたない。これらのことをかれこれ勘案し弁論の全趣旨に徴すると、本件で一般顧客たる被相続人(預金者)が金融機関との間で私法上対等の立場で預金契約を締結するに当り、相続預金の払戻請求をするには共同相続人全員でしなければならないとする旨の前記事実たる慣習による意思を有していたものとは到底認め難いところである。してみると、さような慣習が存するとしても、被控訴人は、これに拘束されることなく、相続預金のうち自己の取得した部分につき、その払戻請求をするには単独でなし得るものというべきである。よつて、控訴人の前記主張はその理由がないのでこれを採用することはできない。

右と同旨に出た原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民訴法三八四条、八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(三和田大士 鹿山春男 新田誠志)

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